プラダラウンドファスナー
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null しかし東條は、いつものように傍聴席には目を向けず、正面か天井に視線を投げるかメモをとるかしていた。東條の憔悴を見ようという好奇の目は裏切られた。  荒木につづき土肥原賢二、橋本欣五郎、畑俊六と進んだ。用紙不足で二頁建ての朝刊はしだいに関心を失なっていき、よほどの衝撃的事実でもない限り裁判を記事にしなかった。しかし法廷に詰めている記者の間では、個人反証にはいってから被告たちの態度が微妙に分かれていくことが噂になった。朝日新聞法廷記者団がのちにまとめた著作では、被告の三つのタイプが分析されている。  (一)自分の生涯に道徳的な信念をもっていて、それを法廷で吐露し、責任もまた甘受するタイプ。荒木貞夫、松井石根、嶋田繁太郎、橋本欣五郎、岡敬純らがそうだった。(二)日本の政策と自己の信念を合致させ、検察側と対立しつづけた被告。板垣征四郎、武藤章、そして東條もそうだった。(三)は一切を弁護人に任せて、自らは意欲を示さないタイプ。責任感を洩らすだけの広田弘毅、裁判に関心を示さない平沼騏一郎、法廷作戦上発言する必要なしとする重光葵。運命を甘受するだけという南次郎がこのグループに属した。そのほか星野直樹、賀屋興宣、木村兵太郎、白鳥敏夫、佐藤賢了、木戸幸一はまったく独自の立場をとり、それぞれの人生観にもとづいて弁護を行なった。なかには責任逃れに終始する者もあった。しかし彼らに共通している自覚があった。  このころの日本の社会情勢は、連合軍の占領政策が非軍事化と民主化に集中していたこともあって、日本に初の社会党政権が誕生していた。四月二十五日の衆議院議員選挙では、社会党百四十三名、自由党百三十一名、民主党百二十六名の勢力分布となり、片山哲が吉田茂内閣にかわって組閣を行なっていたのである。しかも五月三日には武力放棄を謳った新憲法が施行され、天皇は象徴として国事行為を行なうだけになった。こういう情勢に、被告たちは無縁であった。彼らは新聞を読むたびに日本が「左傾化」していることを知って仲間うちで憂えたが、しかしそのことに気をつかうよりも、目先の法廷でのやりとりに己れの生の燃焼をはからねばならぬことを自覚していたのである。  東條に関していえば、彼はまったく社会情勢の推移に関心をもたなかった。そのことよりも、巣鴨拘置所と市ケ谷法廷の二つの世界にしか、彼の存在理由がないことを知っていたかのようである。  個人弁護が板垣部門を終わり、賀屋部門に入ろうとするころ、キーナンがアメリカ人記者に向けて、天皇には戦争責任がないと発言した。このニュースが世界各国に打電され、それがまた日本にはねかえってきた。日本の新聞は一面で大きくこのニュースを扱った。キーナンはつぎのように言ったのである。 「天皇および主要実業家を戦犯として裁判にかけるべきとの意見もあったが、長期にわたる調査の結果、これらの議論には正当な理由がないことがはっきりした」  むろんこれは、キーナンの意図的な発言だった。法廷がはじまってからキーナンはしばしばアメリカに帰り、本国政府と打ち合わせをつづけていた。ニュールンベルク裁判と東京裁判に矛盾が生じないようにすることと、アメリカ政府が太平洋戦争後の米ソ冷戦構造下で日本を傘下に置くことを企図しての打ち合わせだった。アメリカ政府は天皇を法廷にひきだしたり、その責任を問うのは日本国民を刺激するという方針をマッカーサーに伝え、キーナンにもその方向に法廷をもっていくべきことを要請した。キーナンはその方針に沿って忠実に動いた。  彼自身とアメリカの最大の関心は、天皇を免責して新たに象徴という地位に置き、それを利用して日本統治を容易にするという国務省の知日派グループの意向を現実化することであったのだ。  しかしオーストラリア人の裁判長ウエッブは、その見解と異なる立場に立っていた。「終戦を決定、実行した天皇は、開戦にあたっても同じ役割をはたせたのではないか。とすれば天皇の戦争責任は免れない」と考え、天皇の責任を法廷で論じる機会を狙っていた。この考えは、イギリス、フランス、ソ連の判事にも共通のものだったが、キーナンはそれを制する必要を感じていた。それが、アメリカ人記者に向けての巧妙な発言となったのである。しかもこの発言の時期は、賀屋のあとにはじまる木戸幸一と東條英機を意識したものだった。キーナンの真意は、木戸と東條に戦争責任を負わせたいと意図していたのだ。ふたりの責任のなかに、天皇の責任を盛りこませてしまおうというのである。  この記事を新聞で読んだとき、皮肉なことに東條の心は和んだ。彼はこの発言を一言一句メモ帖に筆写し、週に一度許されている外部への手紙には、「これで安心して裁判に望める」と書いて家族に送った。すでにこのころ、法廷に提出する口供書はつくりあげていた。なんどかの書き直しでまとめたものだったが、そこでは〈天皇には責任はない〉という表現が執拗にくり返されていた。  私の手元には、東條が口供書をまとめるまでに書き綴ったメモ類があるが、それにはつぎのようなことばが氾濫している。「光輝アル三千年ノ歴史ヲ汚シタルコトハ開戦当時ノ最高責任者トシテ其ノ責任ヲ痛感スル処ナリ」「而シテ終戦ニ当リ喚発セラレタル大詔ヲ拝シ又敗戦ノ次第ヲ 御神霊ニ御奉答被遊ルル至尊ノ御胸中ヲ拝察シ奉リ カツテ屡々玉音ニ接スル光栄ヲ担ヘル余トシテ真ニ恐懼身ノ置ク所ヲ知ラサリキ」——。  この文脈に流れている感情こそが、キーナンの〈政治〉と邂逅するものだった。  重光葵の観察によれば、キーナン発言のあと、東條はめだって笑顔を出すことが多くなったとある。そして重光の日記には、つぎのような記述があった。 「キーナンが、木戸に対する反対訊問で、開戦当時の木戸と東條との関係を追及して着席して東條を見上げた。その質問応答が終った時に東條は何か可笑しくて笑った。キーナンが之を見付けて両者の顔は向き合ったが、互にニコニコ笑った。之が解顔と云ふことである」  ふたりとも自らの回路が相手の回路と出会ったのを知ったのである。首席検事と被告の解顔——裁判はそれを現実に変えていくための舞台にすぎないことを、彼らは心底で理解していたといいうる。 [#改ページ]